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沖縄の伝統的な祭りには深い意味がある

沖縄の伝統的な祭りといえばエイサーや綱引きがあります。これらの祭りには儀式としての意味が強いので、その意味を知ると沖縄の伝統的な慣習や島の人々の考え方が見えてきます。

エイサー

エイサーは旧盆に行われる伝統芸能です。

盆に行われる踊りというと全国的には盆踊りのことをいいその祭りのことを「盆祭り」と呼びますが、沖縄ではエイサーは踊られても「エイサー祭り」と呼ぶことは基本的にありません。

エイサーは、基本的に各地域の青年会によって行われます。

現在のエイサーは【旗頭(はたがしら)】【太鼓打ち(テークウチ)】【手踊り(ティモーイまたはテーモーヤ)】【地謡(ジカタ)】【京太郎(チョンダラー、サンラー、サナジャー、サンダー)】で構成されています。

太鼓打ちは大太鼓(ウフデークー)、締太鼓(シメデークー)、パーランクーの3種類ありますが、地域によっては【パーランクーのみ】【大太鼓と締太鼓のみ】の場合もあります。

手踊りは、基本的に女性が担当します。男性が担当する太鼓打ちの後ろに続きますが、踊り手は手に何かを持つことは基本的にありません。

ただし地域によっては四つ竹と呼ばれる楽器や手ぬぐい、扇などを持つこともあります。

また戦前のエイサーは手踊りのみが多く、男性でも手踊りに加わっていました。現在でも本部町や本島北部地域では伝統的な手踊りがメインのエイサーが踊られています。

エイサーの意味とは?

エイサーの由来は念仏踊りにあります。

1603年に琉球王国に流れ着いた浄土宗のお坊さん・袋中上人が、琉球滞在中に当時の琉球国王に招かれ三線に合わせて念仏踊りを披露しました。

これがエイサーの最初と言われています。袋中上人はその後も首里に3年間滞在し、浄土宗の普及に努めます。

そのこともあって首里の王様や貴族の間では念仏を唱えることが定着していきます。

この風習が18世紀の中ごろになると先祖供養の一種として庶民の間にも広がり、さらに明治以降になると村の若者たちが托鉢(念仏を唱える仕事をしている人)の代わりに念仏を唱えるようになり、沖縄全域にエイサーとして広がっていきます。

こうした歴史から見ても分かるように、エイサーは娯楽としての祭りではなく地域ごとに行う盆の先祖供養として行われる供養儀式という意味があります。

そしてお盆のために戻ってきた先祖の霊が無事にあの世に戻ることができるように祈願する意味があるので、旧盆の最終日の夜に行われます。

さらにエイサーの一行は地域の各戸をすべて回るため、「道ジュネー」と呼ばれます。

ちなみにエイサーという名称の由来は、「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」という浄土宗系の念仏歌の囃子から来ているといわれています。

那覇大綱挽

沖縄では古くから地域ごとにその年の吉凶占いとして綱引きを行う風習があります。

この儀式を行う時期は地域によっても違いますが、共通しているのは豊作祈願の儀式という点です。地域を東西に分ける点も共通していて、どちらが勝つかによって稲の実りを占っていました。

地域ごとの綱引きは時代と共に少しずつ減少してきましたが、那覇の大綱挽と与那原の大綱曳は現在でも盛大に行われるため多くの観光客も見物に訪れます。

那覇大綱挽は1600年代ごろから始まったといわれています。

首里の外港として形成された四つの町を「那覇四町」と呼んだのですが、これらを東と西の2つに分け綱を曳き合うのが始まりでした。

その後アジア諸国との貿易の影響で港町だった那覇は発展し、那覇大綱挽に参加する町の数も増えたことで琉球王国が国の催事として行うようになります。

琉球王国が行う那覇大綱挽は戦争の影響で1935年を最後に途絶えますが、本土復帰の前年にあたる1971年に、那覇市市制50周年記念事業として復活を果たします。

それ以降は那覇市を代表する巨大イベントとして毎年体育の日の前日の日曜日に行われるようになり、2011年からは「那覇大綱挽まつり」と名前も変更となりました。

那覇大綱挽の意味とは?

一般的な沖縄の綱引きは豊作を祈願する儀式なのですが、那覇大綱挽では人類繁栄を祈願するのが由来にあります。

もともと那覇大綱引きの発祥の地となった場所はかつて「浮島」と呼ばれていた港町でしたから、稲の豊作よりも貿易の発展や子孫繁栄を願う意味が強かったといいます。

その証拠に那覇大綱挽にまつわる古文書には「綱挽の儀は、国家平穏、海上安全の祈祷として挽き来たれ」と記されています。

ちなみに現在では恒久平和、市民繁栄、家庭円満、商売繁盛、子宝などを祈願する儀式として行われています。

ハーリー

沖縄の3大伝統儀式の1つであるハーリーは、爬竜船(はりゅうせん)と呼ばれる小型の船で速さを競う競漕のことです。

ハーリーの歴史は非常に古くその由来も諸説ありますが、共通しているのは「中国から持ち込まれた文化」という点です。

そもそも爬竜船という船のスタイルは中国から琉球に持ち込まれたものであり、「爬竜船→はりゅう→ハーリー」と訛ったことが名称の由来にあるとも言われています。

沖縄では「サバニ」と呼ばれる小型の手漕ぎ船がありますが、爬竜船とはちょっと違います。

共通点は①小型の手漕ぎ船である②小回りが利くためスピードが出る なのですが、サバニは生活の足として使われていたため装飾がありません。

これに対して爬竜船は儀式用として使われる船なので、船の前には龍の頭、船の後ろには龍の尾の装飾がついています。

頭と尾の間には手漕ぎ用のパドルがありますので、ハーリー中の爬竜船はまるで龍が海の上を泳いでいるように見えます。

ハーリーの意味とは?

ハーリーは、正式には「海神祭」といいます。ハーリーの発祥時期は定かではありませんが、14世紀の琉球王国の王・汪応祖(わんおうそ)が行った雨乞いの儀式が発祥の由来であるといわれています。

汪応祖には中国での留学経験があります。この留学期間中に、中国で龍神様に雨乞い祈願をするドラゴンボート競漕の存在を知ります。

帰国した汪応祖は現在の豊見城市の王となるのですが、この当時の琉球は干ばつ被害が深刻でした。

そこで汪応祖は中国の雨乞い祈願を真似て、漫湖に爬竜船を浮かべ雨乞い祈願をします。

すると見事に雨を降らせることができたそうです。この話が琉球国内に一気に広まり、沖縄の伝統儀式として定着したといわれています。

沖縄の伝統的な祭りは、今では沖縄を代表するイベントに発展しています。

地元県民だけでなく多くの観光客が訪れるのでイベントとしての要素が強くなっていますが、本来の祭りの意味を表す儀式もちゃんと行われています。

伝統と新しさが交じり合って新たな祭りの形をなっているのが、今の沖縄の祭りの形。

そう考えてみると沖縄の祭りは非常に奥が深いとは思いませんか?