沖縄情報局

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沖縄の離島の歴史とアイデンティティ。

夕日

よく○○県は、という表現で県民性を語ることがありますが、沖縄では県民性を語ることは出来ません。160の島から成る沖縄県では県民性ではなく、島民性という風に表現が変わります。今回は沖縄の離島の歴史と共にアイデンティティを紹介します。

沖縄県は本島を含めて160の島々で成っています。他の都道府県とは違うところがたくさんあり、それがまた魅力でもありますよね。

よく「○○県は」と県民性を話すことがありますが、それぞれの都道府県にそれぞれのアイデンティティがあります。沖縄もそうでしょう?と思う方もいると思いますが、沖縄は県民性ではなく島民性といって、それぞれの島によってアイデンティティが変わってくるのです。

離島

石垣島には「宮古島の人は出入り禁止」のお店があり、宮古島には「石垣島の人は出入り禁止」のお店があると云われています。これは離島だけではなく、沖縄本島でも同じで南部・中部・北部によって少し変わってきます。

他の都道府県の人からすれば訳が分からないかもしれませんが、○○市や○○区によってアイデンティティが変わるのと同じです。今回は歴史的背景と共に、沖縄の島民性についてお伝えいたします。

宮古島は昔、暴力的犯罪を犯した人が流刑にあった場所だと云われています。そのため「宮古島の人は暴力的でキレやすい」なんて言われているのですが、その反面、実行力と行動力がずば抜けてあり、大成する人が多いとも云われているのです。

沖縄で有名な「サンエー」というスーパーの創始者は、宮古島出身です。カバン1つで本島に出てきて、小さな衣料品店を5年連続で就職人気ナンバーワンの企業に育てました。

また石垣島は昔、政治的犯罪を犯した人が流刑にあった場所だと云われています。

そのため「ずる賢くて頭のキレる人が多い」と云われているそうですが、その反面、要領が良くお金を使うことに惜しみません。良いものを着たい、良いものを食べたい、良いものを持ちたいという惜しみなさは、歌や文化をより洗礼したと云われています。石垣島出身者には歌手が圧倒的に多く、夏川りみさんやBEGINさんは石垣島出身です。

展望台

このように2つの大きな離島だけでもそれぞれのアイデンティティを感じることが出来ますが、もっと小さな島で、もっと人口の少ない離島では濃いアイデンティティを垣間見ることが出来ます。

移住先にもよく名前が挙がる宮古島と石垣島ですが、みんながみんな島民性に当てはまるわけではありません。石垣島は移住者が増えて、今いる石垣島の人で純潔は2割ほどだと云われています。そういう傾向があるだけなので、自分の肌に合った場所を選ぶのが1番です。

先ほど話したように離島によって「○○島の人はこんな人」と言われることが多いので、それが元となって差別されることもありました。結婚を認めてもらえなかったり、就職を断られたり。今はそんなことないようですが、おじいやおばあの時代は当たり前のようでした。

沖縄には「ヤマトンチュ」という方言があります。

ヤマトンチュの反対はウチナンチュ、ウチナンチュは沖縄の人を意味するので、ヤマトンチュは本土の人という意味になります。島ナイチャーという方言は本来存在しません。島ナイチャーもヤマトンチュになるのです。

一昔前までは本島は離島を、離島は本島を毛嫌いしていました。その名残で宮古・八重山諸島では、本島のことを「沖縄」と呼びます。同じ沖縄県でも同じではなく、沖縄は本島のことだけをいい、宮古島は宮古島、石垣島は石垣島という意識があるのです。

魚

その中でも特に差別されてきたのが、宮古島の人々でした。明るくフレンドリーで気さくな反面、キレたら手を付けられないほど暴力的。そんなイメージのある宮古島の人を本島の人は嫌っていました。

実行力や行動力があり、隠さず素直に口にする宮古島の人。今はそのような差別的文化はなくなっているようですが、その土地のアイデンティティが強い人は相手の出身地を気にするようです。

なぜそこまで島によってアイデンティティが分かれたかというと、沖縄はたくさんの離島で形成されているので飛行機や船のない時代に他所の島と交流を持つ術がありませんでした。それは方言の違いから始まり、料理や文化、信仰にまで及びます。

教えや伝統も違う島々なので、お互いに理解し認め合うまでには時間が必要でした。今は本土から引っ越してきたヤマトンチュも増え、出身地に関係なく良好な関係を築けるようになっています。

ネットなどには「○○島に移住して嫌な思いをした。」という人もいますが、旅行で訪れた際にはその島の人々とたくさん触れ合って、島を知る努力をするのが大切なことです。