
たった100年前まで宮古・八重山諸島には「人頭税」という税制度がありました。それによって多くの人が亡くなり、将来を悲観した人たちの殺し合いにまで発展しました。今ではリゾート地として有名な宮古・八重山諸島に存在した悲しいお話を紹介します。
かつて沖縄で存在した「人頭税」とは?
1637年から1903年まで、およそ260年以上もの間「人頭税」という税金がありました。
1609年に琉球を侵略した薩摩藩が沖縄の島々の検地を行いました。薩摩藩の圧力を受けた琉球王府は宮古・八重山諸島に「人頭税」という税金を課しました。簡単にいうと人口(頭数)を基準とする税金だったことからそう云われています。
1637年には役人の見立てで税を納めるように制定され、1710年には15歳から50歳までの人たち全てに課せられました。男性は穀物を、女性は織物を決められた数、納めなければいけません。健康状態・個人の能力・職種などは一切考慮されませんでした。
与那国島の「久部良バリ」が語る人頭税の残酷さ
海底遺跡が存在し、多くのダイバーに愛されている与那国島。自然豊かで島自体に癒し効果のある与那国島は、悲劇とは程遠いように感じます。
そんな与那国島には「久部良バリ」という岩の裂け目があります。幅はおよそ3メートル、深さは7~8メートル。
妊娠している女性は機織りの仕事が出来ませんでした。出来たとしても定められた数を納めることが出来ない。
そこで妊娠している女性を岩の裂け目の淵に立たせ、反対側まで飛び越えることが出来れば労働を与える(生かしてもらえる)という1つの基準に久部良バリは利用されていました。
1階(地上)から2階のバルコニーまでが、およそ3メートルです。その距離を死ぬかもしれないと思いながら無事に飛び越えられた人は、いったいどれくらいいたでしょうか?多くの女性がここで亡くなり、また飛び越えられたとしても流産してしまう人が多かったようです。
そして男性は村中に銅羅が鳴り響くとすぐに「トゥングダ」と呼ばれる田んぼに走っていきます。時間制限内に駆け付けられないような体力のない男性は、有無を言わせず皆殺しにされました。
あまりの過酷さに村人同士が殺し合った「人頭税」
そんな無残で冷酷な人頭税は260年以上にも渡って続きました。たった100年前の出来事です。

この過酷な人頭税は村人同士の殺し合いにまで至りました。親は子がある程度大きくなると、将来を悲観して殺すこともありました。病気になっても障害を抱えても納める額は変わりません。納められなければ殺される、だったらいっそ…と。
沖縄本島よりも気温も湿度も高い場所で、栽培できる穀物は限られていますし、100年前では今のようにエアコンもなければ自動で何かをしてくれる機械もありません。そんな中で260年以上続いた人頭税に、将来を見出せないのも当たり前のことでした。
宮古島にある「人頭税石(賦測石:ふばかりいし)」が語る人頭税
宮古島には人頭税石(賦測石:ふばかりいし)と呼ばれる高さ143センチの石があります。この石には諸説あり、人頭税石(賦測石:ふばかりいし)となぜ呼ばれているのかははっきりしていません。
ただ一説によると、石の高さである143センチを超えたら人頭税が課せられるという話があります。143センチは10歳から11歳の女児の身長です。今現在で10歳から11歳ということは、昔はもっと幼いころから人頭税が課せられていたのではないでしょうか。
宮古・八重山諸島の人たちは沖縄本島のことを「沖縄」と呼びます。自分たち(宮古・八重山諸島)は沖縄ではなく、自分の島が自分の故郷であり、決して沖縄が故郷や愛する場所ではないのです。そのわけももしかしたら、長い間苦しめられてきた人頭税から来たものなのかもしれません。
「なんくるないさ」の本当の意味を知ろう!
沖縄の有名な方言に「なんくるないさ」というのがあります。標準語に直すと「なんてことないさ」になりますが、実はとても深い意味があります。
「なんくるないさ」本来は「まくとぅそーけーなんくるないさ」というもの。この言葉が持つ本来の意味は「人として正しいこと、真・誠のことをしていれば(まくとぅそーけー)なんとかなる(なんくるないさ)」です。

宮古・八重山諸島は今も昔もずっと、自然に愛され恵まれた素晴らしい土地です。皆さんも宮古・八重山諸島へ行く際にはぜひこの話を思い出してみてください。